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伊豆国の藤原氏(任国)⇒「伊藤」 伊豆国の「伊東荘」領主⇒「伊東」 伊勢国の工藤流(領主)⇒「伊藤」 <伊東氏・伊藤氏両用> |
伊勢国の藤原氏⇒「伊藤」 <伊藤氏単独> |
<工藤氏・狩野氏が伊藤氏を名乗った> この系は藤原南家の藤原為憲流の本流(嫡流)。 発祥地は伊豆国狩野荘とされる。 為憲の子孫工藤維職が平安時代(1045頃)伊豆国押領使となり、京より任地伊豆国狩野荘へ下向。当時、狩野は後白河法皇の院領であったが、後に伊東氏を名乗る工藤氏は在庁官人となって「狩野氏」を名乗った。 また、工藤氏であった狩野氏は、「木工介の藤原氏」示す「工藤姓」とあわせ「伊豆国の藤原氏」を主張するため「伊藤氏」も用い、他人もまた専ら伊藤を用いた。維職の子維次、そしてその子祐隆(家継・家次)まで続いた。 これは、源平盛衰記、平家物語、太平記、東鑑(吾妻鏡)等の文献、日向記、南家藤原姓伊東氏大系図等に広く窺える。 |
<祖:佐藤公清流の曾孫基景> 藤原北家の藤原秀郷流の一流佐藤公清流であり、発祥地は伊勢国、公清の曾孫基景が伊勢に居住し伊藤を名乗った。伊勢、尾張、三河、美濃から各地に広がった。三重,愛知、静岡,岐阜,秋田,島根などに多いが、伊東氏との混用が見られる。 |
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<工藤祐経の嫡男祐時を伊東祐時と命名> 平家の滅亡と共に伊東祐親が自害した後、将軍頼朝は伊東宗家の家督を、本来の総領・本家であった鎌倉幕府開府の重臣・工藤祐経に戻し、祐経が殺害された後は嫡男祐時に祐経の家督を譲り、工藤姓に替え伊東姓を名乗らせ「伊東祐時」。これにより、日向伊東氏流、安積伊東氏流発生。 また、日向伊東氏の「南家・藤原姓伊東氏大系図」の中にも多くの「伊藤氏」がある。 明治期には、「藤原氏」であることを端的に訴えるため「伊藤氏」や「藤紋」を用いた例も見られるという。 |