鎌倉(鎌倉時代)
工藤氏=伊東氏
祐経~祐時~祐持

飛鳥・藤原
平城京
(奈良)


平安京
(京都)

伊豆国


鎌倉
(幕府)

日向国
飫肥藩

薩摩藩

500~792 794~1045 1045~1335 1138~1335 1335~1890

 伊東氏の先祖は、奈良時代から明治維新まで藤原氏各家の対立、源氏と平氏の抗争、南朝・北朝の動乱や政権の抗争の渦中にあって、時代の変化の強い風を受けその居住地を日本列島の各地に移しながら、一族はたくましく繁衍していった。
 戦国末期、日向・薩摩合戦での「伊東崩れ」・「都於郡没落」と言われる日向国・伊東義祐の敗戦によって、木崎原合戦で討死した大将伊東加賀守の一族--弟伊東右衛門佐、加賀守嫡子伊東源四郎はじめ一族と多くの家臣団が島津家臣となった(日向記では死亡とされている)。伊東・島津・新納の縁戚関係と島津義弘・伊東右衛門佐・新納忠元の三者の親交関係が元手となって島津氏占領下のイバラの道に伊東家のお家存続を実現し、義弘の副将・家老・地頭・奉行など「小番家」薩摩伊東氏。しかし、その十年後(1587)、伊東祐兵は秀吉の九州征伐の案内・先導役をつとめ歴史的な貢献をなした功績により日向・伊東家の再興を実現し「飫肥藩」成立。これにより日向伊東氏一族は、家臣団を含む「薩摩藩伊東氏」の系統と、新藩「飫肥藩伊東氏」の系統とに大きく二手に分れて明治維新を迎えた。


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<伊東氏>ふるさとの変遷 
薩摩藩(戦国~明治維新)
藤原姓伊東氏
右衛門佐~源右衛門/祐享
日向国(鎌倉/南北朝~明治維新)
藤原姓伊東氏
祐持~義祐/祐岳~祐帰
伊豆国(平安~鎌倉時代)
工藤氏=狩野氏=伊東氏
維職~祐親~祐経~祐時
京都(平安時代)
藤原氏=工藤氏
雄友~茅河~維職
奈良(飛鳥~奈良時代)
中臣氏=藤原氏
鎌足~武智麻呂~雄友
常陸国(平安時代)
藤原氏=工藤氏
維幾~為憲<任国>