蘭方医/幕府奥医師
西洋医学採用の始祖 種痘所/西洋医学所創設・東京大学医学部元祖>

 伊東玄朴とその家譜

生   没  寛政12年(1800)12月28日~明治4年(1871)1月2日(享年72才)
名前/号  名は淵(えん)。伯寿、冲斎、長春院、長翁などを号した。
出   自
 肥前国の農家・執行家に誕生。母方「佐賀藩士伊東祐章家」の養子になり、伊東氏を称す。この伊東家は、佐賀藩士となる以前は「日向流・薩摩藩士伊東氏」という。

伊東氏系譜
および背景


 
系譜を収集・解説した「伊東一族」(日本家系家紋研究所発行 昭和58年3月吉日)において、「日向の伊東氏と一族」の章中、薩摩藩士伊東氏の中に伊東祐武---伊東祐明--七郎右衛門---の系譜のほか、伊東加賀守、右衛門佐の系譜があり、これに先だって「春江入道に始まる伊東氏があり、その子越後守、その弟孫九郎にて子孫は薩摩から島原に移る。佐賀藩士として系を伝え子孫は今東京にあり。幕末の伊東玄朴もこの一族なり。蘭学を修め江戸にて開業す。やがて奥医師に進み法印長春院と号す」・・云々とある。
 この系の薩摩伊東氏の始祖は、永正の頃の生まれで「伊東春江入道」とあるが、加賀守祐安・右衛門佐祐明(祐審)等と同様(戦国期の薩摩入国の微妙な事情を反映し)「父祖の系を欠きたり」とされる。
 玄朴の養子先・
母方伊東祐章家を「伊東氏大系図」によって更に探索すると、日向伊東氏の分家に「佐土原氏」を称した「伊東讃岐守祐賀」流があり、加賀守・右衛門佐の姉妹の嫁ぎ先(義理の兄弟)に「肥後守」のほか「筑後守」を称した伊東祐章がいた。
 この筑後守とその子孫が天正5年の日向伊東氏没落に際して薩摩に移ったと思われる。なお当時の薩摩には、「玄」を通字とした伊東常陸守祐玄、伊東入道玄宅がいたが、
伊東右衛門佐祐明(祐審)流は永年薩摩藩の異国船取締り・港湾管理に関係した船奉行の「伊東肥前守祐貞」がいて子孫の一は島原にも移った。日向流・薩摩伊東氏と肥前・佐賀とは縁は深い。シーボルトとの接点はここにある。
即ち、この人士の動きの経緯は、天明年間以降の薩摩藩主島津重豪から斉彬につながる開明政策との関連が深く、しかも薩摩伊東氏は歴代「異国船取締り奉行」をも担当職務の範囲とする藩主を支える近習職(小番家)であったので必然的に異国・外国との関係、長崎・佐賀・種子島・琉球等との異国船問題には敏感で深いつながりがあった。
 そして、明治維新以後、伊東一族の中に薩摩・長崎・佐賀などを起点にして医学(医者)・法律・建築・海軍などの方面で西洋に学び活躍した有名な人材が多く輩出した。これは、「薩摩中郷」を拠点にした薩摩伊東氏のこの職種「異国船掛」という特殊なキャリア・人脈と大方の関係があると推察される。(島津重豪は、蘭学奨励、長崎のオランダ商館との交流、シーボルトと交際をしていた。医師の養成や医学院を建設、薬草園の造営などを行った。また藩校造士館や演武館を開設して奨励、天文館を建て天体や暦学の研究にも当たらせたという。)

経   歴
医を志し、はじめ漢方を学ぶ。
〇佐賀藩医島本龍しょうに蘭方の手ほどきを受け、長崎に遊学して通詞・猪
 俣伝右衛門の学徒になり蘭語学を学び、次いでシボルトに就いて学ぶ。
〇シーボルトの江戸参府のとき、猪俣一家と共に江戸に下る途中、伝右衛門
 が沼津で 病死したため、後事を託され後にその娘を娶った。
〇文政9年(1826)江戸に蘭学塾「象先堂」を開き、多くの医学生を育成。
 「医療正始」24巻、「西洋鉄こう鋳造編」など多くの翻訳を行った。
〇医業も盛名をうたわれ、江戸の蘭方医の中心人物になった。
〇天保3年(1832)佐賀藩主から一代士分に取り立てられる。
〇安政5年(1858)江戸お玉ヶ池の種痘館(後の種痘所、)の設立に尽力。
〇同年戸塚静海と共に幕府奥医師に登用される。
〇同所は、万延元年(1860)に幕府に移管され、文久元年(1862)西洋医学
 所と改称され、玄朴は同所取締に就任。幕府医官に西洋医学採用の道を開
 いた。

東京大学
 開祖の一 

 種痘所は、「西洋医学所」となり、そして「大病院」とされ、更に玄朴が没した明治
 4年(1871)には「大学東校」、明治7年には「東京医学校」(本郷)と改称。
 明治10(1877)年に至り、東京開成学校と合併して「東京大学」となり、東京医学
 校は「東京大学医学部」となって発展した。

<参考サイト>
http://www.m.u-tokyo.ac.jp/html/2_history/history.html
http://www.geocities.jp/sakurapix/sk04-todaihongo.htm
<参考サイト>
http://www4.airnet.ne.jp/soutai/07_douzou/02_i/
itou_genboku.html

http://www2.saganet.ne.jp/k-kyokai/itougenboku.html

東京大学・医学部(本郷)
<前身:種痘館・西洋医学所>


伊東玄朴銅像
<佐賀県神埼郡神崎町 玄朴旧宅>